日本におけるラクロスの発祥が慶應であることはある程度知られているが、その誕生ストーリーを知る人は殆どいないだろう。創部に携わった一人として当時のことを振り返ろうと思う。
「大学に行ったら誰もやったことのないことをやって慶應の歴史に何かを刻もう。」
今から25年前、1986年3月頃だったか、大学進学直前で当時塾高3年生だった私の親友でクラスメイトの若林君(後の初代主将)が放った言葉だ。平凡な学生生活に何か疑問を感じていた私には、この言葉が心に響いた。ほぼ同時期に我々は偶然雑誌で海外スポーツ「ラクロス」を知った。「格好いい。これだ。」と思った。歴史の始まりの瞬間とはこんなものである。
若林君の熱い言葉と雑誌1ページの情報だけだったが、同級の何人かに日本初のラクロスクラブ設立の話を持ち掛けたところ、すぐに同志は数人集まった。両手で足りるくらいの人数であったが……。
4月になり、大学に進学した我々は道具もないまま「ラクロス倶楽部(らしきもの)」を結成し、すぐに情報収集を始めた。当時はインターネットもなく、「電話」を使うのが最も無難と思われたので、まず我々はカナダ大使館に電話した。なぜなら試しに広辞苑を引いてみたところ(とてもアナログなアプローチである)、「ラクロス」がちゃんと載っており、「カナダの国技」と書いてあったからである。ラクロスは北米ネイティブインディアンの伝統武芸がルーツで確かにカナダの国技であったが、どうやら他種目と比べマイナーな存在で、カナダ大使館ではあまり収穫はないと思われた。とりあえずそこで紹介された米国大使館にあまり期待もせずに連絡をとって見ると、日本でラクロスを広めたがっている人がいるので紹介するというではないか。エンドーさんという日系米国人で航空機会社「グラマン」の当時の極東地区社長だった。
彼は、米国ラクロスの超名門校ジョンズ・ホプキンス大学(JHU・メリーランド州)の出身で米空軍のエリート部隊「トップガン」の元パイロットでもあった。我々を虎ノ門の事務所に迎えた彼は、どうやって日本にラクロスを広められるか考えていた矢先であったことを我々に伝えた。我々にとっては願ったり叶ったりだったが、彼から出た言葉の奥には私利的な思惑などは全くなく、単なるスポーツ普及活動の枠を遥かに超えた深い意味があった。
「草の根レベルのスポーツ国際交流を通じて日米学生間の相互理解を深め、両国間の摩擦を少しでもなくしていきたい。君達にそれを手伝って欲しい。」
米軍パイロットの経験から国際紛争の醜さをよく知る彼ならではの重たい言葉だと直感した。普段はろくに勉強もしなければ新聞も読まない我々には少々難しかったが、活動開始早々に強力な援軍を得たことは本当に大きかったし、普通の学生が経験できないような何か大きな取組みがこれから開始される予感に心が躍った。
その後、(エンドーさんの働きかけもあって)我々が米国大使館や在日米国企業の方々の協力(皆さんボランティアで)を得て米国JHUに招かれるまでに、殆ど時間はかからなかった。夏休み中の3週間ほどのJHU主催ラクロスキャンプであったが、キャンパス内学生寮に無料で宿泊させて頂き、現地のコーチ陣や練習相手になってくれた学生選手達のホスピタリティには本当に感激した。
その後そこで学んだルールや基礎技術や練習方法を日本に持ち帰った我々は、自身の練習の傍ら、「日米摩擦の解消に資する」という壮大なテーマに呆然としながらも日本での普及活動に日夜奔走した。普及活動といっても、週末の原宿歩行者天国でラクロスパフォーマンスをやったり、道具(ラクロス道具は非常に目立つ)を持って山の手線1周を繰り返したり、超原始的かつ気の遠くなるような無謀なことばかりであったが……。逆にJHUから監督と学生選手数名を東京に招き、友人・知人ルートで他大学の学生もかき集めてラクロス・クリニックを開いたりもした。それは表面的にはラクロスの普及活動であっても、とにかくエンドーさん始めお世話になった米国人の方々への恩返しをするのだ、という気持ちが本質的な部分であって、まさに心の通じ合った草の根レベルの国際交流活動だった。
このような「感謝の心」と「ボランティア精神」が根底にあったからこそ、普及活動はどこかの時点で挫折せずに済んだのではないかと思う。活動の成果あってか、その後わずか数年で、あっという間にラクロスは他大学に普及した。
あれから25年、今となっては日本でもかなり一般スポーツ化してきた。慶應ラクロス部も25歳になった。物事は成熟化すると、目に見える開拓(改革)領域が減ってしまったかのように見える。それを錯覚と捉え、常に新しい取り組み領域を発見しチャレンジする姿勢をいかに保ち続けられるか。慶應ラクロスの源流であるところの「開拓者(先駆者)精神」、「感謝とボランティア精神」の二綱領は、ありがたいことに、いつしか現倶楽部の掲げるチームスピリット「Pioneer's Pride」という表現に込められて、今になっても後輩・現役チームに継承されている。